わかめのり

高1男子が考えてること 改め 大1男子が考えてること

12/9の神がかったメモ

 

こんばんは、わかめのりです。

 

昨日はなんだかゾーンに入りまして、思考がギュンギュン回っていました。

この中に一つでも面白い発想があれば幸いです

 

"コメダも楽しい
嬉しそうにしてるのが良い
次もカフェがいいな

もう少し落ち着いたところがいい
「仕事をしなきゃ」と思うと嫌だったけど実際やってみると楽しい
他の人の頼みを笑顔で引き受ける人になりたい
もっと満足のハードルを下げたい
やりたいことを全部やれたらいいんだけど、それがきつかったらいくつか選んでやるのでもいいと思う
多分周りにすごい人がいるから自分が低く見えたりするんだろうけど、「低い」とか(「悔しい」はまだいいかもしれないけど精神に悪いなら悪いもの)別に良い感情ではないし、すごい人は素直に「すごい」と思えばいい
自分が同じ土俵に立たなきゃいけないわけじゃない。人それぞれ違うから、それぞれのやりたいようにやってなりたいようになればいい。
他の人のやってること・好きなことと、自分の好きなことは違うよ!
「高く」ある必要はない
「すごく」なるのと自分がやりたいことをやるのは別。(「なりたい姿」はまた別かもしれない)
全部を同時並行しなくても、一つずつか少しずつでもいいと思う
臼井さんの「かける時間を減らす」っていうことには、「それ自体」が目的になってる「細部の詰め」を減らすこととかある
英語話せるようになりたい、日常英語
食べ物の名前とか、日常の言葉をもっと知りたい
やっぱり留学行きたい
素敵な外国人のお客さんがいた
バイトは、お客さんが自分たちのサービスで喜んでくれるところがいい
でも忙しすぎてもな…、だから週少なめでも出勤できるところがいい
人が喜んでくれているところを直に見るのはいいな
店員さんで、自分一人の仕事はテキパキ(冷酷と思えるほどに)やって、他の店員さんが関わる仕事は丁寧に優しくやっている人がいた!そうなりたい!" 
↑これ実現しよ!
・少ないことに満足できる性格になりたい
免許とるのはすごいし、宿題ちゃんとやるのもすごい
「すごい」?「偉い」?適切な表現は?
周りから見えるような幸せを感じてなきゃいけないわけじゃない。
いかに「凄い人」かを勝負しているわけでもない。
他人に迷惑などをかけないのが大事。(←遅刻とかはやめよう)
人の良さは目に見えるところにあるわけじゃない。
目に見える良さがなきゃいけないわけじゃない。
そもそも「良さ」っていう言葉はいろいろな側面がある。その中でも①仕事やお金など利益を生む「良さ」(頭の回転が速い、やる気がある、物知りなど)と、②そうではない精神的な「良さ」、(笑顔がある、良い笑顔、あいさつするなど)がある
↑②が①に含まれることもあるが(サービス業や人間関係など)

②はあまり気にせず、①を大切にしたい
本当は生きていけるのに十分なものさえあれば、利益など必要ないのではないか?と思う

↑みたいなことを出版した方が、人に知らせた方がいいのか?とも思うんだけど…?

他の人と考え方が違った時
他の人の考え方を認めるか?
衝突した時
アメリカ的考え方
とりあえず生きるのに必要以上なものはなくても、本来はいいはず
でも学びや余暇の遊びがあった方が楽しいと感じる時もある


生き方どうしようか?

考えるの楽しい!
心配性:自分の行為に批難が飛んでくるんじゃないかと思う→どうしてだろうね
(前向きに倒れていたリュックを直した時に思った)
物事に対する意志のレベル:
死守か、できればか、など
がぼんやりしてるね
漫画を読むか?とか、予め決められないものである 
スケジュールに余裕はほしい 
わかやまcrew
→やる時にやるし、やるのが早かったな
→でも余暇がありつつ、楽しそうだった
それについては…?
努力するときは死ぬ気でやってたみたい
LINE返すのめんどくさいと思ってるけど実際はどうなんだろ
ちゃんと考えるのが大変だとか、読むのが長くて大変だと思うんだろうな
これに関してはLINEの良くないところではある
対面で話すのが良さそう
「〇〇のためにする」←妥当なような気もする。ただ、それが大変すぎるとよくないし、逆にそれが楽しければいいな
(この文章主張じゃないな)


・物事への考え方や姿勢ははっきりしてなくても仕方ないと思う。していなくて、それがまずいと思ったら反省して(しようと思ってできるものか?)するか、していなくてもいいかなと思ったら無視(と言うと冷たく聞こえる)するか。
・はっきりしていたらしていたで良い
・反省とは?
・自分の考え方
→言葉(「反省」とか)を使うけど、言葉に踊らされていて自分の思考をそのまま伝えられていなかったり、実際はわかっていなかったりする(別の理由であんまりよく分かっていない時もあるが)。
言葉遊びというか、言葉が浮いていると言うか。
実際に自分がその行為をすることを想像したり、思い出したりする。
「何かをする」ことを文字にしたときに、本当にそれが〜〜か?考える
文字に起こす作業にしてたら感じてたことが逃げちゃったよ〜!!
↑これよくあるよね!!!
でも文字に起こさなかったら起こさなかったで忘れちゃう 
すごくある必要はない
すごくない人を見下すことはやめるべきだ
言葉が不適切なことがある:上の文章の最後の形容詞とか
他の人のやってることを否定することについての反省と改めての考え直し
考え方を変えるって言う行為面白いな
マトリョーシカ論法?(←漫画家がテーマの漫画)
議論にその議論自体が必要というか 
面白〜〜!! 
生き方とか予め決められるものではない、柔軟に決めるもの 
人にマウントを取らないこと:悩んでいそうな人にわざわざその話をしないこと 
生き方がスッキリするかも 
漠然としたことの言語化がたくさんできるしとても将来の僕を幸せにしそうで嬉しい 
自分は考えた結果とかではなく、無条件に「〇〇する/である""べき""だ」と考えることが多い
→一つ一つ捉え直してもいいと思う
→放っておいても良さそうなものは放っておこう

何を充実だと感じるか?

やりたいことは変わることもある、無理にやらなくてもいい
自分は本当にサイエンスが好きなのかな
→進路ガイダンスではワクワクしたな
→実際にやってるときに、どれほど楽しいと思えるかどうかでいいと思う


全部全部完璧じゃなくていい
利益を求めなくていい

完璧な理解は「あるかもしれない」利益のため、もしくは根底からの発見のためにやってると思う
それなら根底の発見はどんなところから生まれたのか学ぶのが良さそう
↑これも""マトリョーシカ""理論では?
↑少しのことを完璧に知っておくよりも、広く浅く、すぐに使える状態にすることが良いことな場合もある(会話に使える、とか)
↑サイエンスを学んでいる時も楽しくないとね

とりあえず今を楽しく生きたい。
「楽しく生きる」ための価値観とかの優先順位について。


面倒くさがらないためには筋トレとかしようかな

たくさん〇〇したからいって、凄いけど、しなきゃいけないわけじゃないし…
→だから今たくさんメモを書いてることについて
物事の評価基準が利益になっちゃってる!!

なんで中国語やってるんだろ?
今のところそんなにやる気はない

一回やる気がなくなった物でも復活することだってあるよ

一つのことをやって生きるのは嫌だと思うけど、一つになるかどうかなんて予めわからない
から人生はその瞬間その瞬間で決まるのである

海外行きたい!
海外に行きたいというのが先に決まっている

なぜ海外に行きたいか?
違う価値観の物人事に触れたい


考えるの楽しい!!

書いたものをどうにか活用したい
完璧じゃなくてもいいから軽くどうにかして自分を幸せにしたい" 
言葉で何回か同じことをを言う/考えると、その瞬間には実感がないのに言葉としては発話/考えてしまう、ということがある
→内容が自分にとっては不事実/嘘になりうる
ex)「人として生きてる感じがしないからAIは使わない」
自慢=能力の見せ合い+マウント?優位性?の取り合い
する必要なくない?
これに勝とうとして、もしくは負けるのが悔しくて自分も何かをすることがある

まだ怒っていない悩みは考えるべきなのか考えてみたい(もし他人に価値観を求められたら、など)

自分の頭の中の考えを文字にする時に削ぎ落とされてしまう情報が実は大切な気がする(ぼんやり思ってる、もっとはっきりさせたい)

あと上の文章の()内みたいな、その内容自体に対する考え、意思も明文化するとか
↑何で明文化するんだろ?実際に自分が思ってるんだったらいらないはず
↑頭の中にどういうイメージを持ちながら、どんな感情を持ちながら(あわよくばどんなときにどこで書いたか)とかを思い出せるからかな

どんな時・どこで・どう感じながら書いたかを書くと、後で見直した時に頭の中を再現できるかも!
↑というのも、自分はとても忘れやすい(と思っている)から。もしかすると、

言葉書く時ってかなり嘘ついてるな、思ったことと違うことが文字になっていることって多いと思った

上のパラグラフで、「もしかすると、」のところを「だし、」と書こうとしてた(内容が違う!)

いつ考えたことも頭の中に再現できたらいいんだけどね

自分はぼんやりしてるから…多分…(少なくとも周りの人と比べて)


もっと笑顔でいたいものだね

自分をもっと幸せにすること(上の内容とか:(〇〇しよう!っていうこと))って利益を基準にしてることになっちゃうのかな

Twitterってそんな感じがする

「意味ないじゃん」っていう言葉
自分の考え方への反発と、他人の発言(から読み取れる考え方)への反発

自分はよく、人の行動からその人の考え方を読み取るけど、それって社会行動論での考えを通して考えるとどうなるんだろう
矛盾とかしそうで面白そう

体のだるさでいろいろ辞めるの惜しいな

この中から優先順位というか、レギュラーというかまず実行したいものを選んでみよう(多いけどな)

日付が変わると忘れちゃう。
でもやってみたら面白い物。
【どうしよう?】朝の自分を動かしてあげるためにはどうしよう?
週末は毎日バイトとか?→それを検討する、ダメだったら次の案というやり方

場合によるけど「全て案を出す」というやり方と、「一つ案を出したら検討して、…」というやり方がある
自分は前者をよくやってきたし、多分得意。なぜかというと、多分価値感や考え方発想が多いし、一つのことを考えること(今回なら一つのテーマに対する案出し)が好きだから。
でも、後者も検討するべきだと思う。特に勉強に関してはそう。時間や体力がかかり過ぎてしまうとかそういう理由から。サイエンスを勉強する時はそう。
区別して、場合によって使い分けよう

明日のトビタテの説明会もそうだけど、


約束やルールは守ろう
でも守るのって大変だよね、守れて素晴らしい
↑と自分は思うけど、周りの人や社会はそうでもないのかも
↑困るかも、バカにされるかも

バカにされるとはどういうことか?
役に立つとはどういうことか?(大隈先生の講義にて)

体力というパラメータもあるよね!確かに
考えことする時に体力というパラメータの存在も考えてやりたい
が、考えすぎるとできることもだきなくなっちゃうような
考えることは楽しいんだけど、「楽しい」から考えることと、「楽しいの""ため""」など、その後の楽しみや利益のために考えること(次の日の計画など)もある。それは区別しよう

別に競ってるわけじゃないからね。
でもどんな利益が生まれるかわからないだって?でも利益を追うと楽しいことがなくなっちゃわない?利益の中にはチャンスというものもあってそのチャンスを掴むの楽しいことが起こるかもだって?確かにそうだな。確かにそう思う反面、「かも」の連続の議論ではある。
それを捨てられないために大きそうなチャンスを捨てるという判断は、考え物じゃないか?

人と話す?(詳しいシチュエーションわからん)と緊張してうまく考えられないこと多い
コミュ障なんだな
一人だとこんなにできるんだけどな(時と場合にやりまくるが)


思考の割り込みが多い!でも許してやれ
大隈先生も多分?そうだったんだから
「区別して、場合にやって使い分けよう」ってやつ、忘れるよな 
明日のトビタテの説明会もそうだけど、自分の場合

(案出しの文脈):少し外れたことをする時と忘れちゃうということがある

明文化するだけでも楽しいけど忘れたらもったいない…っていう「失うリスク」自分は弱いな
→【一般に】自分は失うリスクに弱い、とても気が滅入る、という性質があるといえるだろう(断定できるか?)
↑「だろう」による断定とかそういう何かに対する「姿勢」はアピールするべき。
↑さらに、区別して違う内容として

↑文末よりも内容の方に目がいくから文末気にしないことが多いんだよね

一回書いたものを消したくないと思うことは多い(愛着なのか、面倒なのか、消すという発想がない(難しいもの、コストがかかるもの)なのか…?)
↑だから
始めること

神がかってる
冗談だけど神が憑いてそう
今までの自分の価値観や考えを総集編かのように明文化できてる

面白い
どうして急にこんなことに?
心当たりがあるとすれば昨日のゼミ

「疲れ」というパラメータもある

自分に嘘をつきたくない→なんでだろ?→今のところわからないな、原理的なのかも?(違うかも)

不明って書くと「わからなさそう」「○○じゃなさそう」って思って、文面に「ない」方を想定しにくくなる気がする

飽きというものもある

考えたいことたくさん
大抵、「やらなければならないもの」ではない
→実は「やった方が良いこと」

自分の行動の理由付け、行動の方針決定や一般化
これ学問なのかな
これ科学なのかな?

情報化社会について

生き方について考えてるな!

今話しかけられたら、自分なら怒ってしまいそう

科学→何をやってるかよくわからないでやってる気がするし、別に

他人の態度に影響されて態度ができてるけどそれでいいのかな、疑問がある
でも仮に「嘘」だとしても、楽しいからいいんじゃないかな?(納得した!)
↑ダメだと思うことがあったのは「嘘」""自体""がいけないことだと思っていたから

これからも考え続ける前提の話だな、うーん
「不思議」→疑問かつ面白そう
でも言葉ではわからない
→その言葉を過去に見た時に、どういう文脈や内容に関して使われていたかによって決まるんじゃないか?と思う

人に聞かなくたっていいが、聞いたら面白いと思う
「質問する」「聞く」意味!
→面白そうとか相対化するため、ならば(少なくとも私にとっては)いいものだと思う(須田さんへのALESSの質問)
↑ただ、自分で決定するのが心配だから、という場合もある
↑これはよくないと思う
↑なせだろう?
↑①「自分で決定するべき」という、人気で納得できそうな考え方があるから。(なぜ自分で決定するべきなのか?)②LINEとかで聞くと時間がかかるし、自分のためにならなさそうだから。③自分で考えていないから。(なぜ自分で考えるべきか?)←「ある主張に対して「なぜ(主張の内容)するべきなのか?」という質問について。

「なぜなら」とか書いた方が意味はスッて入るが、普通は使わないよな
→それが状況に合わないのが残念

↑「私にとっては」の意味とは?←嘘をつきたくないということ?

「人の話を聞こう」というテーマ

思いついた順番やすぐに思いついた書き方と、「あるべき」順番や書き方か違うことが多いから大変
まあいいか、そこまでは突き詰めなくて良いだろう、多分
利益を追っちゃうことになる

過去と今を比べる必要はないよ!それが楽しければいいけど
「必要はない」と言われても、頭が勝手に考えちゃうということはあるじゃないか
↑この場合はどうしたらいいんだろう?

今、ゾーンだな
メタ認知の捉え直しだね。

他人に強く当たっちゃう癖がある
↑癖

生活とか人生って要素(人やものや考え方など)が多すぎる(果てしなく多い)から、当たり前だけどどうしても考えきれない部分がある
少しでも多く埋めるか?少量のものを深めるか?など、分類できそう
↑何かしら新しい態度が生まれているな
↑どういうことかというと
↑「など、分類できそう」を文末にしたこと。
↑これがないと、疑問を提示された形て終わる
↑それを読んだ自分はそれ以上考えられなさそう
↑どういうことか(←もっと言い換えられる!)
↑それ以上考える自分に期待している、将来の自分にはそれ以上考えて欲しいと思っているということ。可能性を潰したくない(これは利益のための可能性が?)と思っているということ
↑それと全く並行して、「もっと考えたら面白そう」という場合もある
↑区別しよう
↑「区別しよう」を文末にするのって如何なのかな?
↑この疑問自体が了解知になってない(なれそうだけど!)(気になる!)


メタ認知大好きみたい
↑本当にメタ認知なのかな(あっあと疑うことも好き)
↑「構造」とかに興味がある?みたい
↑「構造」と呼んで良いのかはわからないし、まだ了解知にはなってない

読みやすさを考慮した「↑どういうことかというと」

「了解知」便利〜好き〜
可能性を提示する時「〇〇な可能性はある」って言った時に、「〇〇」という形容詞とか内容を一度言葉にしなきゃいけない。このせいで、実際には可能性は少しだと思ってても文面上にその言葉があると、その言葉の内容自体を受け取ってしまうと思う。あと、文面には「ない」内容(「可能性がある」という言葉を使った時、可能性がない場合もある)を想起しづらいのではないか?と思った

文章をもっと早く正確に読めるようになりたい(どうすれば良い?)


言葉に対する価値観は人によって違うな
じゃあどうやって言葉を使えば良い?(面白い)
思ったこと、事例をいちいちメモしたいな
→面白いことになりそう

評価って時によっても人にやっても違うから「問題がある」(自分で評価していくと前半と後半で全然違うことがある)
↑じゃあしない方が良い?
↑それは違う
↑問題は解決するべきものなのか?

今が楽しいからいっか!

問題の種類

事実に満足するか、感情に満足するか?
【めちゃくちゃ大事】

事例のメモといえばバンクブーブーの人とか辞書の編纂者とかで…
↑この人たちからどう思ったんだろう
↑どう思ったかって大事なのか?
↑こういう知識、自分には役に立つけど一般の人に役に立つものではないよな

土日って1号館で勉強しても良いのかな?

謝ること、責任について
「興味がある」とは実際にはどういうことか?
→自分の場合、一度面白そうだと興味を持ってから、何回か思い出す機会を得て、思い出す
どれほど興味があるのか、と興味を持った経験の存在は違うと思う

言葉にするのに梃子摺ると内容が逃げていく(実際と違う内容を書いてしまう)

必要以上に自分を演出すること(「苦しい」とか「困ってる」演出をするのが好きではない
↑なぜか?
↑嘘だと思うから
↑それもあるけど、嫌悪感がある
↑【これなんでだろう??】

「痛い」人になぜ嫌悪感を抱くんだろう

僕って、天才とか奇人とかが好きで自分の本来以上に、必要以上に、自分をそうであると見せようとしてしまうことがある

「病んでる」時もそうかも
↑「病んでる」のは好きじゃないのにな。不思議だな。
褒めるってどういうことなんだろう

(考えたこと)→だから数字は大切ではない" 
テーマ例:理三ってすごいのか? 
思ったことを全部人のLINEに送ってたら処理しきれないけど、送らないのもな、と思う
→基準はどうすれば良いんだろう?
→内容によるし、そもそも本当に「処理しきれない」のか?
→処理しきれない、という予想があったからそう書いたけど、実際はどうか、照らし合わせていなかったから実際が違う可能性はある(文章にできた!)(直感というものもあるらしい)
↑その問いは正確か?(正確という発想が表現は適切じゃない気がするけど…)
↑この考えに対しこの問いを出したことを興味深く思った。" 
思うこと、発想することはいろいろある
その中で言うこと・言わないことの判断って難しいな

「考え直したい」というのと、

やる気ってなくなっちゃう?ものだなあ

みんな、人を殺す能力はあるけど、実際は多くの人は人を殺していない
→この事実は何を語るか?
→善意?
能力があることは全てやんなきゃいけないわけじゃない?でも善悪のパラメータの入ってくる気がする


「思っちゃう」らしい
「深いなあ」←どういうこと?

理由の後付け" 
「忍耐力」
→やめたくなるまでの時間?
→やめたくなった時にやめないでいられるかどうか?

今まで感じてたことが、改めて考え直すと妥当じゃない気がして困る 
どうしたらいいか分からなくて困る 
「行けばよかった」と思いそう
でも…?

悩み→気持ちが本来の葛藤から離れて、モヤモヤした気持ちのみが残る状態 だと思った" 
ありがとう二郎

 

 

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(終)